人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
二つの影
No.58 4月は嘘つきのはじまり(6) 2005. 6.17

 この身勝手な告白により彼女との関係はそれからギクシャクとしてしまう。しかし、私は責任を感じていたので仕事を続け、彼女とは“いい友達”の関係を維持していったが‥やはり内実は違っていた。
 恋心の支えが無くなるにつれ、彼女への友情も仕事への情熱も全てがだんだんと色褪せて見えてきて、今度はそれらを仕事場で取り繕うため、自分に嘘をつき続けることになる。
 私の勝手な告白で招いた状況だけに「彼女の手前、仕事に手を抜けないプレッシャー」は一層強く、それでいて「振られた女に、心からの友情で報いることができない器の狭い自分」を激しく責めて一人で落ち込むようになっていった‥。
 それが自分だけの徒労感であったのかはわからない。きっと彼女も私との間の違和感にストレスを感じていただろう。
 
 男女間の友情は(程度の差はあれ)どちらか一方の「秘められた恋心(≒嘘)」によって成立している場合がかなりあると思う。
 〔あの頃の俺は卑しい気持ちで嘘をついていたのだろうか‥?〕
 臆病で口に出すのが恥ずかしかった。まだ気持ちを受け入れてもらえるほど近い存在ではない気がした。彼女が私の恋愛感情ではなく友情を望んでいる気がした。振られて関係を崩してしまったら彼女や仲間達に迷惑をかけてしまうことが嫌だった。自分が傷つくことが怖かった。
 でも、自分なりにずっと彼女の為に行動してきたとは思っているし、告白前は絶妙なバランスの上に「いい関係」が築けていたのは確かだった。
 〔彼女の為なら、恋心は秘めておくべきだったのか‥?告白はただの自己満足だったのか‥?〕
 
 好きな気持ちを必死に隠していたのだから、それは自分への「嘘」?
 自分の本心を欺いて友達関係を崩さなかったことは「貴い意志」?
 様々な関係によって想いを告げることなく遠い友達となった子は何人いるだろう‥。
 〔嘘を突き通したから、友達でいられたわけで‥、もし本心を伝えていたら今頃どうなっていたのか?〕そんな想像を巡らして嘘つきでいる自分を褒めて、後悔もした。
 
 来年から、4月1日のエイプリル・フールは「本当の想いを告げる日」としてみるのもいい。
 嘘つきな自分にとって、本当のことを告げるほど愚か【fool:フール】なこともないかもしれないから‥。
 
 
  ※後日談:  上述の彼女はその彼と後に結婚する。私とは、お互いの歩み寄りもあり現在ではギクシャクした関係や感情はなく距離を落ち着かせることができたと思う。今の私に「秘められた恋心」は無く、彼女も結婚した。それは、連絡を取り合うわけでも遮るわけでもない穏やかでほったらかしの関係を漂わせている。
 現在の関係を“友達”と言えるかどうかは正直なところよく判らない。“友達”と呼んで何も問題ないとは思っているが、その穏やかに冷めた微妙な心持ちからは結婚が周囲にもたらす関係の修正を改めて感じるのでした。
 
4月は嘘つきのはじまり おしまい 
 

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