人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
申告書
No.52 夢と現実の確定申告(2) 2005. 3.12

 実は、生涯収入などについての事実をこれまでほとんど知らないまま生きてきた。
 それは自分の意識が低かったためだが、親も学校の先生もそんなお金と人生の話をしてくれることはなかった。「将来の夢」を考えさせる授業はあったけれど「現実の生活とお金」について考えさせる授業はなかったからだ。
 〔今の学校の先生たちは、夢や将来のお金のことをどう生徒たちに教えているんだろうか‥。〕
 ふと、教師を務める友人たちの顔が浮かんでそんな事を思った。
 夢について考えるなら、現実のお金についても考えなくてはならないと思う。
 もちろん自分で稼いで暮らしたことのない生徒達に現実の金銭的な話は難しいが、予想される収入とリスク、その生活と将来についてできるだけ解かりやすく伝え、一人一人に考えさせることで人生のインフォームド・コンセント【informed-consent(説明と同意)】を生徒に図る機会は「フリーター」「ニート(NEET)」「ひきこもり」という言葉が日常的に飛び交う今の日本においては必要だろう。
 しかし人生のインフォームド・コンセントとは言っても、公立学校の教師は「リスクを理解した上であえてフリーター人生を選択する生徒」を容認できない性格の職業だ。公務員として国家利益の為に働く教師は、将来の高額納税者を一人でも多く社会に送り出す使命が根底にあり低額納税者になるフリーターを簡単に許すことはできない。教室で向き合う生徒たちは将来の国家の出資者‥つまり自らの給与を支払ってくれる存在になるのだから‥。
 〔そういう理由で、学校の先生は本当のことを教えてくれなかったのか?!〕
 とは言え、世間全体の所得の増加が消費の増加になり、やがては自らの収入に繋がるのが資本主義社会の仕組みだから、「安易な低所得生活を容認しないこと」は全ての業種で当てはまる健全な考えであるわけだが‥。
 
 毎年、春の手前にやってくる確定申告。
 〔今までお世話になった先生たちに、この申告書類見せたらきっと叱られるだろうなぁ‥。〕
 と、公務員の方々の給与にちっとも貢献できていない今回の私の申告額を見て思った。
 正社員に比べてずっと惨めで自分の意志の弱さに悩む日々です。でもまだもう少し、この先にあるものを見てみたいと思うのです。
 惨めな現実と破滅という未来に、ただ鈍感なだけかもしれませんが‥。
 
 確定申告の時期が過ぎるといよいよ春の訪れを迎えます。
 
夢と現実の確定申告 おしまい 
 

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