人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
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No.53 4月は嘘つきのはじまり(1) 2005. 4.10

 4月1日はエイプリル・フールだったが、知らぬ間に日が過ぎていたことを後日になって気が付いた。
 エイプリル・フールの習慣を初めて知った子供のころは「嘘をついててもいい日」ということで、大いにワクワクしたこともあったはずなのに、大人になるにつれて「演出された面白味のある”騙し”を披露する日」か、または「どうでもいい日」に変化してしまったのはどういうわけか‥。
 きっと私たちは歳を重ねることによって「嘘」が特別なものではなく、ごく当たり前な物であることを十分に知ってしまうからだろう。しかも相当に早い年齢の段階でそうなってしまうようだ。
 私は年がら年中嘘をついて生きている。しかも嘘をつく時に嘘と意識せずに使うから、極めてタチの悪い嘘だ。‥こうやって書くとかなりの悪人だが「積極的に騙して他人を不幸にする」とか「直接の利益を得る」という類の嘘ではなく、むしろ程度こそあれ「気遣い」「お世辞」「おべっか」に近い。(これはこれでイヤラシイ嘘付き者ですが、日常頻繁に使うわけじゃありません。)
 そもそも、「嘘〜お世辞〜気遣い」の境は非常に曖昧だ。「明らかに違う!」という反論も聞こえてきそうだが、よく突き詰めて考えれば本質的に同じじゃないかとも思えてしまう。
 子供でも大人でも「嘘をつけない」という人が稀にいるが、概してそういう人は友達作りに苦労する。子供の頃からなんでも思ったことを口にする人は嫌われてきたし、その場で「言っていいこと・悪いこと」を見抜けないで発言すると気まずい思いをすることは誰でも経験したことがあるだろう。場を読んだ発言とはいわゆる「建前」という名の「嘘」だ。
 以前に養護学校で少しだけ働いたことがある。養護学校とは障害を持つ児童・生徒を受け入れている学校(私立と公立があるが殆どは公立)で、肢体・脳(知的)・視覚(盲)・聴覚(聾)などの障害に応じた学校がある。私が勤務したのは知的障害の学校で、脳に障害があり知能の発達などに遅れのある児童・生徒(小中高生)が通っていた。通っている子供たちの知能はかなり幅があるが、解かり易く例えると障害のない3・4歳児ぐらいの知能で中学生(13〜15歳)という感じであろうか。
 そこに通う子たちは、嘘が下手であるし嘘がつけない子が多かった。「嘘をついてはいけません」という教師の指導が行き届いていたわけではない。子供たちに嘘をつくだけの知能が発達していないからだ。
 ハゲの先生を見れば「ハゲ」と言ってしまうのが彼らだった。そのたびに「コラー(笑)!」とか先生に怒られてドタバタと元気に外へ飛び出していくというのが知的養護学校の日常風景だ。教師は彼らの障害について充分理解しているからその程度で本当に怒ったりすることはないが、何も知らない人は気にしていることをストレートに指摘されたら、さぞ不愉快な思いをするだろう(彼らにハゲと言われたら素直に認めて開き直るしかない!)。高校生になると見た目はかなり大人っぽくとも、知能的には幼児・子供のままという生徒も多い。
 
4月は嘘つきのはじまり(2)へつづく 
 

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