人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
献血待合室
No.105 Bloody birthday to me(2) 2007. 8.14

 そして予定通り、私は自分の誕生日に献血ルームまでやってきた。(自転車で帰りに倒れるといけないので、一応車。)
 「♪Bloody birthday to me〜」とは口ずさんではいないが、やや気分高揚させて献血ルームのカウンターへと向かった。
 
 初めての献血は高校に来た献血車で200ml採血だったように思うが、その頃の献血手帳は紛失してしまい、よく覚えていない。
 受付で書類を記入して、過去の採血データを参照してもらうが記録に残っていないようだ。データー等がデジタル化されるずっと前(17年前)の1回のみで以後採血も無く情報更新をしていないのだから仕方ない。
 〔年金のようなものじゃなく、ボランティアの200mlの血なんで細かい記録なんてどうでもいいです。〕‥などと思いながら、初回という扱いで詳しい説明と了承を経る。その内容では、色々と細かい事情があって簡単に献血できるものではないことを知った。
 まず血液の比重・濃さ、血圧・体重などが規定量ないと、献血した人が倒れてしまうので献血ができない。発熱・妊娠・過度な空腹・睡眠不足など、体調万全ではないときも駄目だ。それから特定の病気にかかったことがある人、エイズや肝炎などウイルス感染の可能性がある人も、輸血を受ける人の安全を守る為に献血することはできない。
 特にその“ウイルス感染の可能性”とされる範囲は広い。未知のウイルス、未解明のウイルス、その可能性を排除できない血液は採取できない。輸血を受けた人、麻薬を注射した人、不特定な人との性交渉、そういう人との性交渉、etc‥。
 
 狂牛病(牛海綿状脳症:BSE)の騒ぎは日本では既に過去の話題になっているが、実はまだ未解明の部分が多い。狂牛病の牛肉を食べた人が発症するかもしれない「変異性クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)」は、その関連が指摘されるものの直接的な証拠はまだ掴めていない。
 牛の飼育と牛肉流通に狂牛病対策の規制が緩かった2004年以前、ヨーロッパ諸国に長期滞在した人や、イギリスに関しては1980〜1996年の間に1泊でもしたことがあれば現在(2007)のところ日本で献血をすることはできないのだ。まだ、その“可能性”を完全に排除できていない(未解明)からだ。(※今後感染メカニズムが詳しく解明されれば献血ができるようになるでしょう。)
 
 イギリスにその間一泊した‥なんて相当数の人が当てはまるはずだ。自分の知り合いを考えただけでも、はっきり聞いているだけで数名はその間にイギリスを含むヨーロッパ旅行へ出かけている。彼らがクロになるわけでもなんでもないが、善意の献血に来て“未解明の疑い”をかけられ献血拒否されるというのは気持ちのいい話じゃない。
 最近では過去に自分が献血をしたときのような「献血車が高校へ行き、集団で献血をしてもらう」ということが極端に減ったという話を、そこの献血ルーム受付の方から聞いた。なんでも徐々に高校側から拒否されるようになったということだ。その理由は、ウイルス感染や不特定な人との性交渉を一人一人問診され、時には疑いにより献血を拒否されるという事を、わざわざ学校が呼んだ献血車によって行なわれるのが、保護者・生徒・学校のあいだで問題化したことらしい。
 確かに学校・生徒・保護者にとってプラスになる内容じゃないから、そういう流れは現代的な感じもするが‥、これも気持ちのいい話じゃない。集団の中で、個人の善意が育ちにくい現代の日本的風潮の一端を見るようでもある。いや‥、悪意も善意も集団の認証が無いと簡単に発揮できないのが普通の人間というものか。自分だってそういう性質の持ち主なのだと振り返って認め、今一度反省する。
 
Bloody birthday to me(3)へつづく 
 

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