U−2 《中国を越えて》
天津港のフェリーターミナルを抜けると、そこは中国だった。
〔ここからは一人でモンゴルを目指さなくてはならない。気を引き締めて行こう。〕 |
と思ったのもつかの間、ターミナル外のロータリーに止まっているミニバスに船を降りた日本人が乗り込んでいるのが見える。私を見てすかさず客引きが近寄ってきた。どこへ行くのか尋ねているようなので「北京へ行く。」と中国語で答えると、このミニバスに乗れと言う。値段を聞けば40元。問題のない価格なので即OKをしてバスに乗り込んだ。さいさきよく事が運ぶ。
バスは高速道路を走り飛ばして約4時間、北京市内に辿り着いた。よく分からない所でバスを降ろされる。一応街中ではあるが、駅の周辺という訳でもないようだ。
〔ここからは一人で今日の宿を探さなくてはならない。〕
〔頑張って安宿を探そう。〕
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と思ったのもつかの間、バスを降りた日本人の二人が「北京で一番の安宿に一緒に行こう。」と誘ってくれた。ありがたい。二人の後について行くことにした。地下鉄とバスを乗り継ぎ「京華飯店(ジンフォアーハンディエン)」という安宿に着く。 |
〔ここの宿屋で部屋をとらねばならない。片言の中国語と英語で頑張ってみよう。〕 |
と思ったのもつかの間、この宿まで案内してくれたうちの一人が慣れた中国語で全てをやってくれたのだ。なんとも、すばらしい人だ。部屋に行き荷物を降ろし、一息つく。宿にいる他の日本人客と数人で夕食にでかけ、旨くて安い中華料理と冷えたビールで腹を満たした。 |
旅先では、やはり持つべきものは日本の仲間。それも旅の達人。という一日であった。旅慣れない私が、今晩こうやって宿と飯にありつけているのも、旅の諸先輩方のおかげである。旅先で会った人に声をかけて、少しでも知り合いになっておくことは大切なのだ。同じ日本人として困った時はお互い様、助けてもらったり、良い情報を回してくれたりと損はない。助けられてばかりだが私にとっては順調な滑り出しの中国第一日目となった。 |
それにしても、この京華飯店という宿には日本人が多い。日本人は旅行好きなのか、ジャパンマネーの強さなのか…この宿の4分の1は日本人でありそうだ。だからこういう安宿では、たくさんの貴重な情報が手に入る。中国国内での宿・買物・食い物・観光名所・移動方法など、おのおのが体験した生きた情報が手に入るのだ。それは国内にとどまらず旅の達人を通して多くの国々の情報を手に入れることができる。また、お互いの行き先が合えば、心強い旅の友も見つけられるのである。ホテルのフロントロビーの端々ではいつもそんな会話や情報交換がなされているといえる。
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しかし、そこで得られる旅の情報も、全てを信じてはならないようである。他人の体験から得られた生きた情報というものは、真実を含みながらも主観性に基ずいた狭い範囲の情報であることも多い。結局、自らの足で苦労して疑り深く集めた情報こそが、本当に使える情報であると旅の達人は口を揃えるのだ。まるで、人生訓にも聞こえるような旅の達人の教えであった。 |
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