X.旅の終わり

 
 
X−1 《大連→上海→大阪へ》
 
朝、二日酔い気味で起きた。
 

 大連で迎える朝、昨夜飲み明かした酒がまだ少し抜け切らないでいた。昨日大連に無事到着した永倉先生と、曲さんとそこの社員のみんなと夕飯を食べ、大いに酒を飲んだのだ。
 社員のみんなは20歳位の若い人がほとんど。日本で1・2年間働いていた経験を持っているので日本語を大体理解し、同世代の日本の若者と比べて向学心も向上心もずっとあって人生の目標も明確。そんな彼らを見ていると自分が情けなくもあり、これからの日本は大丈夫か?と思ってしまうのだった…。
 とにかく昨日は大連において永倉先生に会い、一緒に夕飯を食べたことで私は中国最大の目標を達成した。そして
リーリュウの件についても一応の終息を向かえることができた…。今日の午後、私は帰国のために大連を発ち一路上海へと向かう。
 午前中は曲さんの仕事場をぶらぶらと見学などして時間を過ごさせてもらう。昼になって曲さんに大連の中心街まで車で送ってもらい、船に乗る前に私と永倉先生を含めた3人で昼食を食べることとなった。
 曲さんの馴染みの食堂に入ると、曲さんの知り合いが既に食事中であった。私と永倉先生と曲さんでその仲間に混ざり昼食である。食事は当然うまいのだが、その食事の賑やかさは並みではない。食事のバラエティーじゃなくて、中国人の食事中の会話の騒がしさが並みではないのだ。すごい勢いで喋りまくっている様子は、まるで喧嘩だ。怒りの罵声をお互いに浴びせ合っているようで〔そんなに熱くならないで、まぁまぁ落ち着いて…。〕と端から見ていて思う。
 

食事
 
 私は旅の道中で、熱くなって怒るように話し合う中国人同士を多く見かけてきた。彼らはなぜ、ああも熱くなって話すのか?なにを毎日イライラしているのか?中国の旅では、店員やバスの乗務員に初っ端から怒ってる感じで早口に喋られて、ストレスが溜まる。
ある店員に対し〔なんだこいつ?対応悪すぎ…ってゆうか、なに怒ってるんだ?〕
地下鉄の切符売りに対し〔また怒ってるよ…。あなたは何をイライラしてるわけ?〕
市場の露天商人に対し〔ダメだ…また怒ってる。君、カルシウム足りないよ。〕
バスの乗務員に対し〔やだなぁ、眉間にしわよせて…。いい加減にしとけば?〕
ホテルのフロントに対し〔やっぱり怒ってる。かわいそうな人…。〕
 
 という感じで、穏やかな対応を受けることは少ない。極稀に優しさ溢れる笑顔のサービスで対応する人に出会うと、その場でその人のファンになってしまう程に嬉しいのだ。とにかく客や他人への対応が悪すぎて、始めは中国人をあまり好きになれなかった。
 私以外にも多くの日本人は中国人に対しそう感じると思う。しかし少しの間中国にいるとなんとなく中国人の気質がつかめてきて、感じるストレスが減ってきた。
 
「有り余る勢いが彼らにとって通常なのだ。」
 
 中国人を考えたとき、怒っているように見えてもそれは私(日本人)が普通に穏やかにしていることと同じなのだ。(慣れるまでは結構厄介。本当に怒ってるときはもっと何かが違うので注意。)
 これは中国が社会主義国家の道を歩んできた性とも言えるのであろうか?表面上だけでも他人に気持ち良く接するというサービスは、まだ一般には広まっていないようだ。
 この2週間ぐらい中国を見てきて思うのは、彼ら中国人はどんなことにも真面目に向かい合い考える人も多いということだ。好奇心旺盛で些細なことでも興味を持って注目し、真剣に議論や討議をする。どんなことにも真剣に取り組むから、その真剣さが私には怒って見えるのではないだろうか?
 〔…とにかく彼らは怒りっぽく見えるが、それが当たり前。〕そう思えるようになってからは中国人から怒鳴られても割りと平気になった。
 目の前の曲さんとその仲間達も普通の会話であろうが、日本人から見れば喧嘩に近い。私と永倉先生は、ただただ茫然と言い合う様子を眺めるばかりである。
 
 昼食を終えて、船着場へ向かう。曲さんと永倉先生に感謝と別れを告げ、私は上海行きのオンボロ船に乗り込んだ。船内は結構な痛み具合で、お決まりのように汚い。かなり老朽したその船は、大連と上海を2泊3日かけて走る大型フェリー船だ。乗客は中国人だらけで、外国人を含め日本人は一人も見当らない。8人部屋のコンパートメントも当然日本人は私一人。〔じゃあ、同室の中国人と話でも…。〕と思ったが、旅も終わりに近付いたせいか少々気力不足で、2泊3日間をこれといった会話もなく一人でゴロゴロと寝るようにして過ごした。
 
満月がこうこうと照らし、湿った風の吹く海上を船はゆっくりと進んで行く。
 
 8月28日朝8時ごろ、大連から出た船は予定どおりに上海に到着した。上海の街で買物・食事・散策をし、上海観光に充分な未練を残しながらもすぐ4時間後には日本行きの船に乗り込むのであった。〔上海観光はたったの4時間たらず、トホホ…。〕
 日本行きの船「新鑑真号」はかなり快適だ。新造船のようで、内装・外装共に光輝いている。私のいた4人部屋のコンパートメントでは日本人旅行者や中国人留学生と様々な話をしながら楽しく2泊3日間を過ごした。(大連→上海間とは多違いの3日間。)
 
そして8月30日の朝、船は大阪港へ到着したのでした!
 
 大阪からは電車で、我が家のある愛知県へ向かいます。〔あー日本はいい!なにがいいって、切符が簡単に買うことができて、どこへでも行けちゃうこと。中国では切符一枚買うのが大変だったなぁ。ちょっと味気ない気もするけど自販機は断然便利だね。そういえば中国の人たちは人なつっこくて、外国人や見慣れない風貌の人には興味津々に列車内でも話し掛けていたな。それと比べれば日本の人はなんだか冷たい感じ…。モンゴルの人たちのように、どこか幼い感じがしてシャイで憎めない真剣さがあって、素朴な和やかさもここには溢れていない。〕
 
〔うん。やっぱりここは日本だ。〕
 
 車内の女子高生はみんな超ミニスカートにルーズソックス。目の上を青く塗って、髪の毛は茶色で、当然持ってる携帯電話。街はどこにだってレンタルビデオ店とコンビニエンスストアがあって、ゲームセンターにはカルシウム不足な目付きの髪の黄色い男が数人たむろしている。知らない人から突然話し掛けられることなんて滅多にないし、話し掛けることもしない。バスも電車も超厳密なスケジュールで運行していて、信号無視をする歩行者は少なくて、街中に馬は走っていなくて、乞食も大道芸人もいない。それから、牛糞も落ちていないし、大きな草原もない。瓦屋根の家と四角いビル、田園と清流、パチンコとモスバーガーがあるここは、まさしく日本だ。あたりは日本臭い景色で満ちている。
 
 名古屋駅から乗り慣れた電車に乗り、見慣れた風景を見て一足先に大学へ寄り道をする。
 「ただいまー!」大学の仲間たちと45日ぶりの再会。なんだか懐かしいような、変わりないいつもの感じのような、不思議な笑顔に出迎えられ土産話で盛り上がる。そのまま大学で一晩過ごして翌日の8月31日に帰宅すると、久しぶりの家族に会ったような、これくらい会わないでいることもよくあるような不思議な感覚におそわれながらも無事に帰宅できたことを噛み締めるのでした。メデタシメデタシ…と言いたいところであるが、日本で大切な目標を私が達成していないことにあなたは気付いているだろうか?
 
…そう、神戸の椅子の展覧会だ。
 
 私が8月30日に向けて慌ただしくも帰国を計画したのは「自らの作品を出品した椅子の展覧会へ足を運ぶ。」という目標を達成するためだったはずだ。目標達成への計画は順調に進んでいたといえる。が、しかし私は目標設定の段階で既に過ちを冒していたのであった。帰国前日、船内からの国際電話でその情報は私に伝えられた。自分の愚かさを呪うと同時に相変わらず冴えていない自分に親しみすら感じる程であった。
 
〔もーーー、なんのために、急いで8月30日に帰国したのやら…。〕
8月29日午後5時をもってその椅子の展覧会は閉会。
…目標消失。
 
残念
 
やっぱり最後はこんな感じで終わりがやってくる…そんなものである。
   

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