人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
それが問題
No.145 わかり始めたコード(5) 2016. 7.13

 「カリオストロの城」テレビ放送後の次の日、近くに暮らす9歳の甥っ子もルパンのアニメと知ってか同じ番組にチャンネルを合わせていたようで、〔分からない部分もあっただろうが、きっと全体を通して夢中になって楽しめることができただろう。〕という予想のもとに、通りかかった甥っ子へ「カリオストロの城、面白かった?」と尋ねてみたら、甥っ子からは「そうでもなかった。(面白くなかった)」とのこと。
 全く予想しえない返答で混乱する私をよそに彼は元気に遊びに出かけて行ったのだが、(甥っ子の親から)聞く話によれば途中で観るのを止めてしまったというのだから、解(げ)せないものである。
 〔まぁ、どちらかといえば“大人向き”ではあるから、まだ9歳にしては早いストーリーだったかもしれない‥〕と、自分勝手に納得してみたのだが、彼が途中で投げ出した本当の理由が「怖いから」だというのを聞いて、やっぱり‥解せないと思った。〔カリオストロの城にそれほど怖い部分はあったのだろうか?〕
 再度ストーリーを頭の中でゆっくり追ってみると「確かにそれは有る」事に気付く。いや「有った」と言うべきか、幼い頃には自分も感じた感覚なのだ。物語前〜中半で登場する影の暗殺集団や、城内最下層でミイラ化した無数の遺体、終局で伯爵が圧死する場面などは、自分も子供のころは恐怖心を抱いていたように思い出す。
 〔30才以上の年齢差を持つ現代の子供にとっても、わりと直感的で現実味のある恐怖感を演出できているというのは凄いことだな。〕と、改めて宮崎監督の技量に感嘆する。 …と言うことは、甥っ子は彼なりにストーリーに入り込んでカリオストロの城を(途中まで)観ることができたわけで「作品にちりばめられたコード(演出の意図)を読み取って楽しむ」なんていう私のモノとは次元の違う味わい方をしたのである。
 そしてまだ全部を見れてないのだから、あのドキドキ・ハラハラを感じて没頭できる瞬間をまだ残しているわけで、それは幼くまだ知らない者の特権でもあり、私にはそれがうらやましく思えたのだった。
 
 この作品は宮崎監督が若かりし頃に短時間で制作されたと前に書いたが、短時間≒かなりの低予算で制作されたようで、物語最後の銭形警部が名台詞を発する所は本来全く違うものを構想していたが、予算の関係上、泣く泣く別のモノ(今のお話)に差し替えて世に送り出すことになり、全く納得できるものではなかったという監督本人の談話が残っている。(この後悔がスタジオジブリ発足の動機にもなっているそうだ)
 そして今現在、最後の銭形警部の場面は「名場面・名台詞」として広く世に認知されているというのは、色々と考えさせられるものである。
 
わかり始めたコード おしまい 
 

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