人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
樫の杵
No.135 一年一度の思いを込めて(1) 2010.12.31

 今日は12月31日。2010年の歳暮れだ。今日の私は、今年やり残したことの一つ「杵」の修繕を行った。
 杵や餅つきと言えば歳暮れ風情もあるが、木工作業では風物らしさの欠片もない。そうとは言え、壊れた杵は1年間ずっと手を付けられずに部屋の中に放置されていた物だったので、ようやく手をつけることができて少し嬉しいくらいだ。いや、部屋を片付けたいから手をつけたというのも正解だろうか。
 ここ数年、毎年恒例になっている友人宅での餅つき会がある。そこで昨年末に餅をついた際に、私自作の杵の柄がボキリと折れてしまったのだ。急ぎ、友人宅に昔からある杵を納屋から引っ張り出してもらうが、そちらは杵の頭先部分の木がささくれて脆くなっており、餅をつくと木片が餅に混じってしまう有様。
 しかたなく昨年の餅つきは、そこで“杵つき”を止め、残りは“機械つき”で事なきを得たのだが、自作の杵と友人宅の古い杵、次の年末までに2つの杵を修繕するのが私に課せられた仕事となっていた。
 ところが‥である。年に1回という使用頻度の杵は一向に私の興味とやる気を惹きつけず、私も私で優先する他のことに時間を使ってしまい、とうとう2本の杵と私は1年間向き合うことなく時間だけが過ぎてしまった。〔やれやれ‥〕
 年末休みに入り、今年の餅つき会の為にようやく重い腰を上げて杵の修繕に手をつけようとしていたが、事情により今年は餅つきが開催されないことになり、年に1度ある杵・臼の出番が今年は無くなってしまったのだ。〔おやおや‥〕
 〔これで杵の修繕もまた1年先送りに‥〕などと考えが頭をよぎったが、散らかった部屋の惨状を目の当たりにして思い直し、手をつけることにしたのが歳暮れ大晦日の今日だった。
 昨日は夜更かししたので、昼過ぎにいつもの軒下の場所に道具を広げる。天気はやや悪く、おまけにすこぶる寒い。まぁ、ノミを振るえば身体は暖まるだろう。
 
 友人の杵は総樫(カシ)造りの重厚な品だ。まず、頭の部分をノミで削(はつ)って綺麗にしたら、緩んでいた柄を挿(す)げ直して完成。元々の杵の造りも素材も良く、状態もあまり崩れていないので割りと早く終わった。こうやって直して使えば何代にも渡って使えるわけだが、直しが効くように材料選定と加工が成されている事が素晴らしいわけで、これは高価な杵だと思う。
 かたや私が作った杵の方だが、頭は欅(ケヤキ)で柄は赤樫。柄が折れた部分は頭の中を貫いている内部の箇所で、どうやら私の加工に問題があったようだ。材料は安いものを選んでるし、加工も未熟とあれば、我ながら安価な杵だと思われる。柄はやや細く、これが弱い原因の一つにもなっているのだが、1年に一度の頻度であり、友人の古杵を直して予備品ができたので、今回は柄を新調するのは辞めて折れたものを短く切って使うことにした。
 柄の加工と挿げる穴を再度調整するが、なかなか出来上がらず日が暮れて暗くなってしまった。もう、暗くてほぞ穴の細部が見えないので今日はここまでだ。年が明けた明日に続きをやろうと思う。
 〔あー、また次年へと仕事を残してしまったナ。〕結局まだ散らかったままの部屋を見て気落ちしながら、今年も色々作ったおかげでこれほど物が増えて部屋が散らかっているのだなと、思い直してみる。
 
一年一度の思いを込めて(2)へつづく 
 

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