人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
試し塗り2
No.131 春 イロイロ(6) 2009.12. 3

 〔混色が“残念”な絵の具なんて、使いにくいどころか色の知識が正確に学べないじゃないか‥。個人用具として学校で買うべき絵の具じゃないだろう。〕
 ‥と、言うのが私の初見的感想なのだが、小学生に絵の(図工)授業を何度か行ううちに、今では「これは理由ありの妥協点」なのが、だんだんわかってきた。
 
 まず、“透明水彩技法”は小学生の段階では難しい。「ただ絵の具を水で溶いて使う」って考えだけは、“透明水彩技法”はてんで上手くいかないのだ。
 【1つ目】 透明水彩の技法は「どの色と、どの色を混ぜれば狙った色が作れるか?」と言った減色混合を、まずは基本として熟知してなければならない。
 【2つ目】 絵の具の透明度は加水量によって変化する。混色で色を作るだけではなく、透明度という次元を絵の具へ追加して調節できないといけない。また加水用の水は最後まで一貫して汚してはならない。
 【3つ目】 加水後の絵の具は粘度が低く(ほぼ水の様)、筆で不用意に描けばたちまち紙の上は洪水になってしまう。筆に含ませる絵の具量は調節しなければならないし、そのためには筆の大きさを、その都度合ったものに換えなければならない。
 【4つ目】 先に塗った色が次に重ね塗る色に溶け出したり、逆に水不足で筆跡が残ったり、意図した通りの描画を進めるためには、紙の上にどれだけ水分が残っているのか、水分蒸発の経過(時間)を捕らえながら、それに合わせて適切な工程を施さないといけない。(ある時は素早く、ある時は充分に乾くのを待つ)
 
 こうやって分析して見ると、混色・透明度・筆の絵の具含み量・水分蒸発を考えた作業工程‥と言った4次元・5次元的なスキル(技術)が、透明水彩技法には必要なのがわかる。一筆一筆でこれらが守れないと即座に修正が難しい失敗を引き起こしてしまうわけだ。
 透明〜不透明までの技法に幅を持つ絵の具でありながら、それを決める水分量の感覚は個人任せで、変化量も非常にナイーブ(繊細)。このおかげで個々に塗り具合に違いが出たり表現的自由さがあるのが子供の絵における美徳的イメージと考えられているかもしれないが、その影では失敗と挫折感・徒労感だけ味わう絵の具の時間になっている子も多いだろう。

 自分にとっては意識せずに行っていた透明水彩の技術作法だったのだが、結構めんどくさい技法なんだな‥と解ってきた。
 大人にとっては簡単に思えることでも、視覚的な量の判断、触覚的な力の判断、物理的な時間の判断、などなど、大人と子供とではまるで土台が違うわけで、ヒトには難なくできる二足歩行をロボットにやらせる過程で、工学的にも情報処理的にも多大な研究と総合分野の発展が必要であったように、わたしたちの些細な日常動作でさえ、無意識に判断・作用させている事が山のように存在している。絵の具はそれら微細な調整を筆先に乗せなければならないわけで、心技体の総合的な経験が少ない者(小学生)にはやたらと難しい事なのだ。
 
 それに加えて、クラスの個々人で筆や絵の具等の道具がバラバラだったら‥結構悲惨な40分(授業1コマ)になる。

 ※ちなみに、だいたい小学生の図工授業でクリアできるのは前述の1つ目〜2つ目段階程度。中学校では不透明水彩と透明水彩をしっかり区別して、それぞれの技法を発展させていくのだが、3つ目(加水量と筆含みの調整)以降は多くの生徒が、ずーっと理解も実践もできないまま、授業では失敗し続け、公教育を終えた後(15歳)は、一生を終えるまで水彩絵の具に触れることは無い‥なんて人が半数以上になるんじゃないだろうか。(他の分野でも似たようなものだけどね)
 
春 イロイロ(7)へつづく 
 

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