人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
試作品
No.129 春 イロイロ(4) 2009. 7. 4

 さて、それから時は経ち、昨年〜現在、私が図工講師として勤める小学校なのだが、少し前に水彩絵の具で絵を描く授業を行ったときのことだ。
 まぁ、あたりまえだが授業の事前には、題材になる絵を自分でも試しに描いてみるわけだ。
 これは提示用の作例作りが1つの目的となるが、自分で試してみて、子供にはどこまでやれて、どこが無理なのか推測し、難しいポイントや、課題とすべき部分、勉強(授業)の狙いとする内容などを想定・洗い出し・明確化することに本意がある。その後、その試作・作例経験を基に、今後の授業(1時限は40分)の流れというものを構成してゆく。
 “流れ”の内容には、鍵となる言葉(セリフ)や問いを、どの瞬間に言うのかも考えておく。(授業によってはライブで流れを決めてゆく時もある。あと、忙しくて準備不足で、ライブで乗り切るつもりがトラブル発生であたふたしっぱなし‥なんて時もある‥。)
 しかし、流れや課題などを「試して推測する」と言っても、ある学年の子供に何がどこまでできるか?の推測はなかなか難しいものだ。自分(先生)の説明・話術が下手だったり、語彙が難しすぎたり、手順が悪かったりということには、ひとまず目をつぶるとしても、大人と子供では手の大きさも、視界の幅も、注意力も、微妙な力加減も、感覚機能も、蓄積知識量も、認識・判断力も、無意識の部分で大きな差が存在し、活動に影響しているものがとても多く・複雑に存在する。加えて個人毎に興味や意欲の方向性も全然違う。
 そこら辺を見抜いたり、無理の無い適した内容を提示するのは教師としての経験量がモノを言うのだが、精神・技術・身体(心技体)といった個人差の他に、図工で侮れないのが、「道具の差」だ。
 1クラス40名全員に全く同じ道具を配布できればいいのだが、学校予算や授業予算によっては「道具は各自が家から持参」となるので、その場合道具にバラつきがでる。例えば「家から糊を持ってきてください」と連絡しても、でんぷん糊〜固形スティック糊までの差が出るのが普通で、時には油性のゴム系ボンドやテープ糊を持ってくる子もいる。クラス内でバラつきが出ると、限られた時間内で40名近くがより良い作品完成を目指す図工・美術では、事前に考えていた「難しいポイントや、課題とすべき部分、勉強の狙いとする内容や、授業の流れ」なんかが大きく崩れてしまう。(持参道具のおかげで全く上手く作れない子が続出)
 予算を使ってあらかじめ学校で1クラス分(最大40個)の道具を用意したとしても、思わぬ不具合品が混在している“想定外”が往々にしてあれば、試作を作る準備段階において自分(先生)の周りにある「普通の道具」で作ったつもりが、子供らの用意する道具が遥かに劣って(仕様が異なって)いれば、最初で材料などを台無しにしてしまうこともある。
 つまりは、使用道具の事前把握が作品の完成度、引いては取り組む内容そのものが適・不適か?に影響し、1つ1つ(一人一人)の道具詳細まで授業者(先生)が気を回しておける事が授業の成否を左右すると言っていい。
 
 ‥ということで、水彩絵の具で絵を描く授業にあたって、私が使用している(前述のホルベインかウィンザー&ニュートンの)透明水彩絵の具ではなく、ほとんどの子供らが入学時に購入する同じ水彩絵の具と画用紙、ほぼ同等の筆、を用意して自分で使ってみたところ‥、正直、その差には驚いた。
 
 〔なんじゃこりゃ!?いつからこんな絵の具を小学校で採用するようになったのか?!色が変だし、濁ってる‥。この紙も‥酷い。〕(※←ファーストインプレッション:第一印象です。)
 
春 イロイロ(5)へつづく 
 

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