人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
シバザクラ
No.117 春の便り(5) 2008. 5.30

 だが心とは裏腹に、挨拶の後にYと目を合わして話が続かない。その後もこちらからは声をかけづらくて、休み時間もYの近くへは行かずに、距離を空けるように自分から忙しく振舞ってしまう。
 
 その日、私は“いつの間にか大きくなっていた己の気持ち”を思い知るのだった。
 「彼氏の居るY」、「ただのクラスメートの自分」、この事実に感情を従わせることができない私は、自分の行動と気持ちを一致させるが為に〔彼氏がいるから、Yはそれで幸せなハズ。俺と親しくする必要も無ければ、俺から彼女にしてあげることも無い。〕と考える。(逃避的行動)
 その気持ちは短期間に私の態度として固定化し、ハッキリとした違和感となって彼女にも伝わる。それまで仲の良い友達関係だったのだから当然の成り行きだ。以降、私から理由を明かすこともYも尋ねて来ることもないまま、お互いが距離を空けるようになった。同時に学業が山場の時期を迎え、「距離を置く」理由を「忙しさ」にすり替えることで、ますます私はその件(Y)から逃避していった。
 
 Yはどう思っていたのか?そうなった理由についてはYは薄々どころかほぼ気付いてたと思う。それからYは、私が「面白くて優しいクラスメート」として関係が復活してくれる事を願っていただろう。(友達なら無害で面白い奴だったんだよ、俺。)
 
 私は私で、〔Yには落ち度も悪意も無いのに俺は何やってるんだ‥〕と後悔し続けていた。しかし、再び状態を変える勇気も無く、彼女の幸せそうな恋愛の姿を見聞きも想像もしたくなくて、距離を空けたまま3月を迎える。
 4月からはお互いが地理的に遠く離れた進路が決まっていた。「このままではもうYとは会うことは無いかもしれない」という予感はあったが、春からの新しい始まりを控えて感傷的になることもできなければ、私から話せる話題も浮かばない‥。この期に及んでも彼女への嫉妬や自分を卑下する気持ちの残骸がココロのあちこちに散らばっていたのだ。
 卒業式、式後の仲間との歓談の合間にYの方から挨拶をしてくれた。
 私も笑顔で挨拶をするが、続く会話は事前に知っていた互いの進路先の紹介をする程度で短いものにしかできなかった。
 
 それが卒業別れになる。
 
春の便り(6)へつづく 
 

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