人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
秋田の花
No.115 春の便り(3) 2008. 4. 9

 〔うーん、これで普通の切手と同額とは‥、 これはもう少し買い溜めしとけばよかったな。〕
 “買い溜め”とは言っても収集・コレクション目的じゃなく全て使用が前提だ。
 こんな切手を使って手紙を出したら相手に喜んでもらえそうな感じがするし、その為に手紙を書くという発想なら、切手一枚80円のとても幸せな行いじゃないだろうか。
 しげしげと切手を見ながら思い起こす。
 
 昔、学生だった頃、女の子から手紙をもらったことがあった。
 ラブレターとか特別めいた内容の手紙じゃなくて、同級生の女の子から長期休み中に“元気?休み中にこんなことあったよ”とかいう旅の便り的な軽い感じのものだった。
 送られてきた綺麗な水色の封筒には珍しい記念切手が使われていて、私はそれにとても驚いた記憶がある。予期せず女の子から手紙を貰うことにまず驚いたが、記念切手が使ってあったことでその驚きは一層強かったのだ。
 私がどんな返事を書いたか、果たして返事を書いたかどうかさえ忘れたが、休み明けの学校でその手紙と使われていた切手のことなどを彼女に聞いたら、彼女曰く
 「時々郵便局へ出向き、綺麗な記念切手が売ってると少量買う」
 「それを使って友達に手紙を出すのが好き(使うために記念切手を買う)」
 「相手や手紙の内容、封筒の色とデザインによって手持ち切手の絵柄を合わせて使う」
 ‥なんてことを楽しげに話してくれた。
 
 その考えは手紙に関する経験の乏しい私にはとても新鮮で、革新的でさえあった。
 〔そうやって記念切手を使って良かったのか‥、そうやって気軽に手紙を書いてもよかったのか‥。〕
 手紙を彩るアクセントとして切手を美的に選んで使い、新しい切手を手に入れることが手紙を書く動機になる。そんな手紙や切手に日常的に接してきた彼女の人付き合いの姿勢や、美的な感覚、それにまつわる経験などを想像すると自分自身がとても幼く感じてしまうのだった。
 
 異性からの手紙で、しかも記念切手だなんて、それ「脈アリ」だったんじゃないのか?
 ‥と普通の男なら勘ぐるかもしれない。
 
春の便り(4)へつづく 
 

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