「じれったくて、慎重に気を使うもの」、それは「命」という存在とどこか似ているような気がする。作る者は秘めた心の中に他人の知り得ない命を幾つも作り出しているのかもしれない‥。
結局私が手伝ったバードカービング講座では、彫刻刀と小刀による手仕事のみで作ることになった。
小学生4〜6年生の子どもたちにはまだ指の力が弱く手先経験も少ないことから、刃物の制御は難しいようだったが、必死になってカービング(彫り)を続け、10回の講座時間を費やして一人一体の鳥を見事に完成することができた。
手刃物加工になったのは予算で遂行できる範囲の妥協点ではあるが、「手刃物を使う修練」と「経験を通じて木材の性質を学ぶ」ことに加えて「カービングで味わう醍醐味をより強くする」為の教育的計らいである!‥と、自己満足な詭弁をそれらしく振るっておく。
実際は刃物の使い方をレクチャーして、立体を彫る手順をせっせと遂行しただけに終わったようなものだから、子供たちにどういう気持ちの変化があったのかは全然分からないし、(段階付きの)評価もしていない。心情的なものを評価したなら「芽生えた信仰心の強さをチェックする」ようなもので、非常にナンセンスな行いだろう。(嘘つき者を排出するにはいい手法ではある。)
「刃物と時間と己の力によって、木塊から鳥型(望む形の物)へと変える」そんな経験を提供できた事実が、この先じれったい程の時間と更なる経験を経て、彼らの中に何かが芽生える一助となるのを願うのです。
講座終盤、双眼鏡を持って秋の川原に出かけ、東京大学・愛知演習林の技術専門職員である荒木田さんの力をお借りして、全員でバードウオッチングを楽しめたのは心に残る良き思い出になっている。荒木田さんの語る鳥の話には私も一生徒になったようについつい引き込まれた。
ヘッドホンを外して、携帯電話の電源を切って、淡々と過ぎる自然時間にじっくりと包まれてみれば沢山の命を感じることができるもの。バードカービングよりもなんと簡単なことか!さぁ、つまらないこだわりで時間を費やす様な仕事(概して意味が無いモノ)なんか放り出して、偉大な教室「この地球の自然」を学びに山野へ繰り出してみてはどうだろう。
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