人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
小鉋の刃
No.95 砥ぎ澄ます秋(3) 2006.12.23

 黙々と砥石と刃物に向かっていると、普段気付かない様々な音が耳に届いてくる。
 
 飛行機の音‥上空を高く行くジェット機。
 人の歩く靴音‥足取りがゆっくり、お年寄りの散歩だろうか。
 バイクのエンジン音‥50ccの原付、クラッチペダルの操作音からして、きっとスーパーカブ。
 こんどは少し遠目にエンジン音‥小さいエンジン、草刈機、いや今の季節なら街路樹の剪定のエンジンバリカンか。
 踏み切り警報機の音‥一番近くの線路の踏み切りだ、続く電車の音は貨物列車。
 鳥の鳴き声‥近くの電線でさえずるヒヨドリ?何羽かで喋り合ってる。きっと去年もこのあたりへ寄り道したのに、あった畑が無くなってて内輪揉めしてるんだな。ピービー〔なんだよ!畑で飯にありつけるんじゃなかったのか?〕チチチ〔お前が方角間違えたんだろ!〕ギッ〔いや、俺しらないよ。〕ギャーギィー〔誰だよ穴場の畑があるって言った奴は!〕‥なんてね。
 私は軒下にいて砥石の前で一点に座していようとも、鋭さを増した聴覚が遥か広い世界を見渡すかのようだった。陽だまりに置いた足と腕がじんわりと暖かく、この周囲に広がっている平和な日常が私の気持ちを穏やかにしてくれる。
 
 さあ、砥いでいる刃の方も徐々に鋭くなってきた。仕上げ用の砥石の上では墨のような真っ黒な砥ぎ汁が出てきて指の爪の間に染み込み、指先と砥石は黒々と汚れてくるが次第に刃先は輝きを増してキラリと光を反射した。
 〔もういい具合だろう。〕と、最後に砥ぎあがりの「キレ」を確認する。
 砥いでるあいだの集中から開放されて、その刃で腕の毛が剃れるか確かめる瞬間、「(ほぼ)良し!」としたときの達成感にはホッと笑みがこぼれる。さび止めに油を引いて、鈍く光を放つ刃先をマジマジと見れば、凛とした気持ちが湧いて旅の支度を整えたようでもある。
 刃の傾きを直し、他にも鑿や小刀、あわせて5・6本を砥ぎ終えると、朝から始めた作業も昼になっていた。
 〔今だけは少し気持ちも軽くなったかナ‥?〕
 黒く滲みだす砥ぎ汁の中で更に丁寧に磨り減らしてこそ輝きを増す鋼のように、黒く溜まった心の膿を吐き出しながら焦らず己を黙々と磨き続ければやがて私も輝き出す時がくるのだろうか‥。そう問いかけた黒く汚れた指先に持つ刃(ヤイバ)の鋼(ハガネ)は、澄み渡る晩秋の空を取り込んでただひんやりと静けさを漂わせていた。
 
 いい気持ちで今年を締めくくりたい。さあ、要らぬこと考えずに息を整えてもうあと少し!
 
砥ぎ澄ます秋 おしまい 
 

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