人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
ミルクポット
No.94 砥ぎ澄ます秋(2) 2006.12.10

 筆が磨り減りると、先端が毛羽立って細かい部分を描くのに使えなくなるので細部用に新しく買い足す。(←簡単:☆)
 刃物が磨り減ると、木が綺麗に削れないので自分で水と砥石を使って砥ぎ直し、また切れ味を取り戻す。(←ちょっと難しい:☆☆☆)
 気持ち(心)が磨り減ると、とにかく全てがマイナス思考になるので、特に将来とお金と異性のことは考えないようにする。(←かなり難しい:☆☆☆☆)
 
 いつ頃からか判らないが、モヤモヤとネガティブな気持ちが頭の中にたちこめて、どうにも手が止まりがちな日は、しばらく使って切れの悪くなった刃物の“刃砥ぎ”をするようになった。
 刃砥ぎに精神鎮静作用があるわけではなく、ゴシゴシと砥石に向かって砥いでいると集中度が増して雑念が消え、やがて気持ちが落ち着ついてくるのだ。
 ずっと以前にテレビドラマ(たしか江角マキコが出てたような‥?)で初回に主人公が「落ち込んだり悲しいことがあったら鍋を磨く。」みたいなくだりがある話があった。現実にもムシャクシャしたら部屋の隅々まで掃除する人もいるようだし、「落ち込んだら刃を砥ぐ」っていうのも「美しく磨き上げようと集中して雑念を忘れる行為」であって基本的には同じようなものだろう。磨いたり、綺麗にしたり、そうしている間は「あれこれ悪いことを考えない」時間を授けてくれるし、達成した後の見た目のスッキリ感は気持ちの切り替えに役立つ。
 しかし、負の想いが“刃砥ぎ”に入り込むせいか、または歪んだ気持ちが反映したのか‥、そういう気持ちで何度も砥いできた私の鉋の刃先はだんだんと斜めになってしまい、最近ではどう鉋台に仕込んでも斜めに刃が出るようになってしまった。気持ちは落ち込んでてもいいが、鍋磨きと違って刃砥ぎに慎重さは大切なようだ。
 とにかく今のままではうまく木を削れないので、近頃のアンニュイな気持ちを忘れる為にも鉋の刃を砥ぎ直すことにする。
 傾いた刃先の形状を機械で削り落として、今度は再び傾かないように全体の力加減に注意しながら砥石で刃を砥ぐ。ゴシゴシ、シュッシュッ‥丁寧に、気を抜かずに、力任せにせず、急がず、焦らず‥。左右の砥ぎが平衡になるよう加減しながら鉋の刃を砥石の上で前後させる。押し当てる砥石が磨り減り平らでなくなると、刃も平らでなくなり鋭さが今ひとつになってしまうので砥石も平らに直しながら、だんだんと砥石の細かさを上げてゆく。
 
砥ぎ澄ます秋(3)へつづく 
 

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