人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
アサガオ
No.89 10年先にあるものは(2) 2006. 8.31

 中学卒業以来17年も会うことなく過ぎていた級友から連絡をもらい、幾つかのメールをやり取りして、この夏会うことになった。
 昼過ぎに待ち合わせた場所で私達は静かに再会した。そして互いの変化に驚きながらもその場でしばらく近況などを語り合う。自分達や以前の同級生達の最近の話などに盛り上がって一段落すると、2人で菓子折りを一つ買い、それを手に同じ級友Tの家へ向かった。
 
 Tが亡くなってからもう今年で10年が過ぎていた。(※参照『人生紀行 No.26〜29 2月29日の偶然』
 ようやく今年、私は死んだ親友に初めて線香を手向けることができたのだ。Tのお宅に上げてもらい仏壇と脇に飾られた遺影に手を合わせ、2人で静かにTの冥福を祈った。
 
 Tのお父さんお母さんを交え、自己紹介を兼ねて近況などの話をする。
 10年と言う月日の間にあった、景気や社会の移り変わり・兄弟や親戚をはじめ子どもの成長・この町の変化などの話題が上がりながら、ポツリ・ポツリと言葉を探り合うように次第と亡くなったTのことに話しが及んだ。
 ご両親ともそれまでと同じようなトーン(調子)で優しく話しながら、「生きていれば今頃‥」と母は笑顔の頬に涙を流し、「もう少しTの思いを聞いてあげていれば‥」と父は遺影を遠く眺めた。
 「Tの分も私達が精一杯生きていきます。」とか「Tがいたからこそ今の自分がいる。」なんていう言葉がふと私の頭をよぎったが、そのご両親の言葉と想いの後に何か取って付けたような言葉を添えることはできず、落ち着いた沈黙の中で汲んだ想いをただ噛み締めるのだった。
 高校の美術部でTと一緒に夢見た未来にいる私は、まだ何も成しえておらず、一人前と言える男にもなれていない。
 
 君が死んでから10年が過ぎた。
 私には先の見えないままに過ごしてきた大学卒業後の10年で‥、この先10年、いや1年先だって見えない未来への不安に本当は押しつぶされそうな今の毎日なんだ。でもな、未来への不安なんて自分が勝手に作り出してる不安なんだよ。10年前も、この今も、僕らの未来にあるのものは“誰にも分からない”っていう、小さな頃に一緒になって山や林や神社の境内を冒険していた時のような‥、本当は凄くワクワクできるものなんだ。
 まだ見えない丘の向こうに広がる世界=未来を、できるだけ長生きしてたくさん見れた方がワクワクが多くて得だろ?‥結局最後は死ぬんだから‥。
 そうだとは思わないか?
 
10年先にあるものは(3)へつづく 
 

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