人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
森の小道
No.82 豊かな森に集いて(1) 2006. 5. 6

 わずかに電話から離れていた隙に、普段用事もなく電話をかけない友人からの着信が残っていた。〔なんだろう?〕と思いながら「風呂の最中で電話に出れなかったが何か急ぎの用件だった?」という旨をメールで送信したら、間も無く電話が鳴る。
 
 大学時代の恩師が亡くなられた。
 
 通夜と葬儀予定の連絡だった。私が学生のときに彫刻を教わったM先生だ。
 M先生とは半年ほどの授業しか接点はなかったし、当然卒業してしまえば会うこともほとんどなかった。
 しかし、どういう巡り合わせかここ2年手伝うことになった「ものづくり講座」の関係でM先生とは再会し、昨年末までは毎月2回は決まって顔をあわせていた。この2年間の私にとって、M先生はわりと近い存在だったのだ。
 
 M先生は以前から病気で体調を崩していたが、一つの夢があった。
 東海の豊かな自然を後世に残す。
 
 先生を慕い「その想いに賛同して活動するメンバー」は数名いて、M先生が主体となって共同の作業場(工房)を立ち上げていた。
 そこは先生が若い頃に買った森で、緑に包まれた小さな小屋がある。私が手伝っていた“ものづくり講座”はその工房がある市内で週末に開催されたので、仕事を終えた午後の時間に工房へ赴き、昼食に買ってきたパンやカップラーメンを食べながらM先生と話をするのが習慣になっていた。作業を手伝い、講座ネタを研究し、教材の準備をする‥、そして季節の移ろいを森の花や草木や動物に見ながら、挽きたてのコーヒーを淹れて飲むのは幸せな時間だった。あれほど森の中にゆっくりと過ごしたことは今までにない。
 
 そうやって2年を過ごす間に、M先生はその夢についても色々語ってくれた。
 「東海自然歩道とその周辺一帯を、未来永劫開発に晒されない聖域にできないだろうか。」
 
 それを初めて聞いた私には途方も無いことの様に思えたが、M先生は続けて言った。
 「賛同者を募り、企業の協力を得て、国や自治体に働きかける。今はまだ小さな声かもしれないが、活動と発表を継続して想いをできるだけ多くの人に伝えていけば、いつか大きなプロジェクトになる。まずはこの森と工房でNPO(非営利団体)法人化して、自分名義の資産をNPO法人のものとしなければ。もし私に何かあってもここをみんなが活かしていけるように‥。」
 
豊かな森に集いて(2)へつづく 
 

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