人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
ワシントン米初代大統領の肖像画
No.75 信用の価値は〜livedoor〜(3) 2006. 2.27

 株や紙幣の価値を作り出しているのは、信用という目に見えない幻想の共有。そして“信用”はとてもナイーブで、脆く儚い。
 
株価≒信用≒お金≒価値
 
 極論ともいえる単純式がふと頭に浮かんで一人で妙に納得してしまった。
 現在流通するお札の“信用価値”を頭から取り除いて、「日本のナノテク技術を結晶させた頂点の印刷製品または美術工芸品」としてお札をじっくりと眺めてみる。(※ちなみに旧1万円札を製造する費用は1枚22円くらいになったそうです。平成12年)
 〔やっぱり印刷は凄くて、これを作り出すのは大変そうだ。色線の絶妙な組み合わせで作る絵柄は凄い!独特の配色バランスも調和があってイイねぇ。う〜ん、はっきり言って俺こんなの描けない‥。でもまぁ、部屋に飾って毎日眺めたい作品とは思わないけれど‥。〕
 
 では「絵の具まみれの紙切れ(または油まみれの布切れ)」もやっぱり同じように信用によって価値≒価格が決まるものだろうか?
 「昼寝前に一筆の殴り描きでも1億円、完成までろくに眠らず10年を費やしても1万円。その価値は変動する。」一見するとまるで株価と同じように世間の信用が価格に影響しているようにも思えるが、よく心して見るとこれはそんな単純な代物ではないようだ。そもそも、お金や株式などの有価証券類とは本質が全く違うし、ずっと個人的で、ずっと精神的(スピリチュアル)な要素がこの物の「価値」に作用しているように思う。
 「株価≒信用≒お金≒価値」もう一度心してこの単純式を見てみれば、たとえ株式でも各要素間の「≒(二アリーイコール)」は全てが人の心によって橋渡しされていることが見えてくる。
 
 ちなみに、最近アメリカでこれ(↑古びた油と絵の具まみれの布切れ)が2130万ドル(24億3500万円)で落札された。人の心だから24億円と古びた油と絵の具まみれの布切れを結び付けられるわけで‥動物やロボットには無理な芸当。
 
 どんな信用でも、それをお金や価値につなげられるのは一人一人の人間的なハート(心)に他ならない。
 livedoorもいつかまた正当なパワーとアイデアで新たな価値を信用につなげられる‥、そんな人間の心ある"社会”であればとも思います。
 
信用の価値は〜livedoor〜 おしまい 
 

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