人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
バラの花
No.61 見えない所に価値は宿る(2) 2005. 8.13

 美味しい豆を売る店に出くわしたことが“見えぬ広告”から目を醒ますきっかけになるのだが、それをすぐには解明できなかった。何度か別の店で浮気をして「やっぱりこの店の豆が一番だなぁ。」と改めて思った時に、ふとひらめいたのだ。
 
 〔そういえばこの店、コーヒー豆の匂いがしていない‥。〕
 
 その店の豆は、200gづつ密封されて引き出しにしまい込んである。ディスプレイにも豆は陳列してあるが、わずかな見本用でそこから量り売るわけではないのだ。
 よくあるコーヒー豆店では、透明なアクリルケースに入った大量の豆を専用のスコップですくい出して量り売る、というスタイルを採用している。その行為はいかにもオシャレで、真鍮製の金色のスコップは気品があり、数メートル先から漂う香りには酔いそうになる“幸せな一時”なのだが、先程の美味しい豆の店は至って味気ない。匂いもなければ、スコップでジャラジャラと豆をいじることもない。
 つまりそれが豆と外気・光の接触を極力避けている証で、豆自身の劣化と酸化を抑えていることになるのだ。
 ひらめいて解かってみれば、香り漂わないその店のコーヒー豆が美味しいのは至極あたりまえのことだった。
 豆の香り漂う店は「うちの豆は外の空気と充分に触れてますよ〜!」と見えぬ広告を流し、透明アクリルのケースで「うちの豆は光(紫外線)をサンサンとあびております!」と豆の劣化を謳っていたのである。(焙煎→販売、の商品回転が速ければあまり問題はありません。)
 この豆の一件は、表面上の価値と引き換えになっているものに考えを巡らすことを私に教えてくれる。
 
 “表面上の価値と引き換えになっているもの”‥今回のコーヒー豆のように、それ自身の本質である味と香りが単に犠牲になっていることもあれば、表面上の美しさのために多大な「労力と時間」(コスト)が費やされていることもある。また、表面上の美しさと価格が見合わないのであれば別の何かにコストを費やしているかもしれない。
 
 何事にも表面上だけでは量れない価値がある。
 どれだけ平凡な事柄であっても、秘められた価値に自ら気づくことは、偉大な発見。
 それは、99%の忍耐と真摯な眼差しの中に、1%の輝きとひらめきを見ることだと思うのです。
 
見えない所に価値は宿る おしまい 
 

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