人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
カップル
No.54 4月は嘘つきのはじまり(2) 2005. 4.23

 一般的にも「子供は嘘をつかない」とよく言うが、言い換えれば「嘘をつける程に知能や社会性が発達していない」ということだ。子供は知能が発達するにつれて「嘘」をつくようになるし、やがて社会性を身につけて「気遣い」からくるお世辞も平気で言えるようになる。
 大人は知能が発達してきた子供に「嘘をつくな」「嘘はいけない」と諭しておきながら、一方で子供の本心にはないことを言葉や振る舞いとして強要することが多い。例えばある人から「お子さんへ」と玩具などをいただく、子供にとって好みじゃない物でも「好きじゃないから要らない」という子供本心の言葉を封じ込めて「ありがとう」の言葉を嬉しそうに言わせる‥ということを無言のうちに習慣化させているのは紛れもない大人だ。
 勿論、子供たちは知能の発達と共にこういう積み重ねで社会性を習得していくから、そうさせる大人は悪いわけじゃないし必要な社会教育も含まれている。「“ありがとう”と嘘を言いなさい。」と教えているわけじゃない、必要な「礼儀作法」なのだ。
 しかし、子供はそういう大人の態度からだけでは嘘と礼儀を区別はできないだろう。両者の違いを子供が理解して身につけるまでには経験と大人による正しい導きが要るのだ。養護学校の先生は長い時間をかけ、障害を持つ子供たちに今日も忍耐強く伝えている。
 
 気遣いでお世辞を言い、気に入られようとおべっかを使い、思っていることを言わない‥。建前、つきあい、振る舞い、身だしなみ、言葉遣い、化粧、カッコいいスーツ、カワイイ服装、ブランド物、プチ整形、カツラ、シークレットブーツ‥etc.
 考えてみれば大人にとって「嘘」はごく当たり前の日常だろう。異性を前にすれば無意識に嘘の量が増えるし、恋心を抱けば尚更に嘘と計算の応酬だ。
 でもみんな知っているように、嘘は全てが「悪」ではない。全く害のない嘘もあれば、人を幸せにすることもあるし、嘘が本当になることも、自分の力になることもある。肉欲・怠け・不安・疑い・恐れ‥という衝動に理性で抗ってこそ幸せと成功を手にすることができるのだから、その目標へ至るには安易な自身の欲望(本心)に嘘を貫き心をコントロールすることが必要だ。それは「嘘」という言うものではなく「貴い意志」と言い換えることができる。(‥なんだか禅問答のようです。)
 嘘と社会性、嘘と計算、嘘と貴い意志はどれも紙一重であり、自らの心次第で簡単に置き換えが可能なのだ。ただその内側に卑しさを含んでいるかどうかが、嘘との分かれ目なのかもしれない。
 
4月は嘘つきのはじまり(3)へつづく 
 

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