人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
夜明け
No.47 茨城へは夜を越えて(4) 2004.12.25

 走り終えてふと思うのは、国内の交通機関の運賃の高さだ。今回で言えばガソリン代の3倍くらいの費用が電車の場合にかかるわけで、自分で操縦等しないですむ(苦労と事故リスクが少ない)、環境への負荷が少ない、などがあっても、やはりその利便性と価格(運賃)から考えて車の個人利用が減らないことは当然だろう。
 
 高速道路を全線無料化する政策案をどこかの政党が打ち出していたが、もし本当にタダにしたら鉄道利用は落ち込んで空気汚染も進むことになるし、国の借金も環境汚染のツケも将来に後回しするわけだから「旨そうな話」だけを宣伝しているようなものだ。
 もちろん高速道路がタダになれば経済活動が活発になる要素を多く含んでいてそこが「売り」なのだが、無料化によって排出の増す自動車のCO2・NOxなど環境への具体策は聞こえてこない。
 
 調べてみると「電車は自動車より環境にやさしい」とは一般的に言われるものの過疎地域などにおいては定員に対する乗車率で自動車の方が効率がいい場合もある。また最近騒がれるガソリン車とディーゼル車の環境等への影響も「どちらが優れている」かはケースバイケースのようだ。(一人でも多くの人が交通機関等による乗り合いをした方が「環境にやさしい」ことは明らかである。)
 私たちは各社(各政党など)が自慢げに謳う「環境にやさしい」がどんな観点から導かれているのかを常に見極める必要がある。更に言えばライフサイクルアセスメント(LCA:原料の採掘から、製品の製造・輸送・使用・廃棄のすべての段階において、環境への影響を評価する方法。)により車両製造とインフラ(線路・道路)整備まで含めて評価すべきなのだろう。
 あと1週間後にやってくる2005年度には「CO2排出権」の売買が本格的に始まると言われ、身近な商品でもその背後‥店頭に並ぶまでのエネルギーと原料の詳細な情報が今後一層重要になってくるし、それを読み取る消費者としての知識も必要だ。
 「環境に配慮した者(国家)が報われる社会」それはもう我々のすぐ近い所まで来ているのかもしれない‥。
 
 この2日間で私一人の移動に消費した同量のガソリンを原野に撒き散らして火をつける。轟々と激しく燃える炎とそこに立ち昇る黒煙。44Lのガソリンだ。煙の向こうに見える緑の山々と青い空はしばらく煤に透けて見えるけど、44Lのガソリンが燃え尽きた後は何事もなく澄んで見える‥。ガソリン1リットルあたりのCO2排出量は約2.3kg。(44×2.3=)101.2kgの無色透明なCO2が空気に紛れ込んだ後はきっとすぐに忘れてしまう。
 気づくとすぐ隣でも、またその隣でも同じようにガソリンを燃やす人がいて‥、そんな景色が延々と地平の彼方まで続いていることを想像する。
 〔多くのガソリンを消費した茨城へのドライブが果たして本当に必要だったのか?〕道中に見えた真夜中の景色がフラッシュバックするなかで、身体に残る疲れと共にちょっとアンニュイな気持ちになった。
 見えないものを見る力‥、心(知識・想像力)がなければ私たち人類は他の多くの生き物を巻き添えにして、早々に滅ぶことになりそうだ。
 
茨城へは夜を越えて おしまい
 

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