人生という日常の合間に見つけた平凡な感動や、過ぎ去る時間のぼんやり思惑。 人生紀行

 
No.30 桜咲く 華は儚く 2004. 4.13

 友達が私を訪ねて来るというので「桜を見て酒でも飲もう」ということになり近辺の花見の名所に出かけた。既に陽は暮れていたので夜桜見物だ。今年の桜は満開の時を越えて今まさに散り始めていた。あたり一帯の樹に吊るされた裸電球は暖かな橙色光を投げかけて、淡い桃色の桜を濃紺色の闇夜に浮かびあがらせる。その灯りに照らされた桜は穏やかな天気に小さな花びらがハラハラと舞落ちて、濃緑の草叢(くさむら)、黄土の地面、漆黒の川面を薄っすらと桜色に染めている。
 正に春爛漫という風情で、うっとりするような雰囲気に浸りながら「今年、こうして桜を見ることができてよかったなぁ‥。」と思うのだ。
 また私の友人が亡くなったという知らせを聞いた(前回の話題に引き続いて、暗い話題で申し訳ない)。以前の職場の仲間の一人で、歳は私の一つ下の女性だ。進行性の乳がんによる死だった。享年29。(私が死を知ったのはこの3月のことだが、彼女の死は一年前の冬。急なことで連絡が私までは回らなかったらしい。)
 最後に彼女と会ったのは2年前の冬で、京都に集まって仲間みんなと互いの近況を語りあった。教員採用試験に合格した話や、今付き合っている彼氏と結婚を考えていることなど夢と希望のある先のことを京都で話した彼女だが、その様子に別段おかしな所は何も感じなかった。しかし、そのとき既に彼女の体にはがんが進行していたのだ。仲間の何人かはそのことを知っていたが、私は彼女の病気のことはずっと知らぬままだった。
 仲間と別れて帰るときに彼女も私と同じ愛知県へと向かうので「一緒に新幹線で帰りませんか?」と誘われたのだが、私は少し買い物がしたかったことと、新幹線の特急料金を節約したいという思いで彼女の誘いを断ったのが私が最後に彼女と交わした言葉になった。今思えば、彼女の「一緒に帰りませんか?」という誘いを受けて二人で新幹線で帰っていれば、もしかしたら彼女のがん告白を私は受けていたかもしれないし、そうではなくともゆっくり話をすることが出来ていただろう。つまらない事情で誘いを断った自分が情けなかった。
 誰の身にも死がいつ訪れるのかは分からない。明日不慮の事故で突然死ぬことも、余命1年の宣告を医師から受けることだって、まだ若い身であってもどれだけ善行を重ねていても何の前触れもなく降りかかることなのだ。
 人生の時間は限られている。ふと忘れがちになる死を告げる鐘の音に耳を澄ますようにと、身近な人たちの死が私に教えてくれる。自分の人生を生きろと、臆病になりがちな私の背中を後押ししてくれる。
 久しぶりの夜桜と楽しい仲間と美味しいお酒で、すっかりいい気分になりながら頭上の桜を仰ぎ見れば、また一枚、また一枚‥と、桜の花びらは止めどなく風に舞い、闇の中で美しく・儚く散っているのでした。
 そして次の日。見ればあたりの桜の樹には花はわずかに残るだけ、枝のあちこちからは緑の若葉がもうたしかに小さく芽吹いていた。あっという間に新緑の季節がやってきます。
【goo「ピンクリボンキャンペーン」サイトへ】ピンクリボン
 

旅人彩図 『人生紀行』 前へ 目次 次へ