U.日本→中国→モンゴルへ

 
 
U−1 《船の旅》
 
私は「燕京号(ヤンジンハオ)」という大きな船の大きな部屋にいた。
20人のドミトリールーム(大部屋)である。
 
 燕京号は神戸を発ち瀬戸内海から下関を抜け中国の天津を目指す大きな客船だ。旅費を押さえるために安い大部屋をとった。船内は里帰りをする中国人や観光目的の日本人がほとんどで欧米人は少ない。部屋は他にも二段ベットが2つある4人部屋や豪華な特別室(見れなかった)がある。施設としては、コーヒーラウンジ・バー・食堂・売店・ゲームコーナー・洗濯室・シャワー室・風呂・サウナなどがあった。 さすが2泊3日をすごす船内だけあってホテルが船になって海の上に浮いている様な感じだ。特筆すべきは風呂。船内の割には結構でかくて気持ちいい。ゆっくりと揺れる船の中で湯ぶねにつかり、これからの旅のことに思いを巡らす…実にいい気分です。
 
 船で旅をする人の多くが旅の達人と聞いてはいたが、まさにその通り。旅の猛者の巣窟であることが、同室の人と話すにつれて徐々に分かってきた。
 自分の息子二人を中国内蒙古の現地学校に入学させ、年に3回くらい日本と中国を往復している父親とその息子。数十ヶ国を廻り、今度は世界一周の旅する中年男性。危険な国や誰も行かないような国を目指し続ける青年。離婚後100ヵ国を巡った中年男性。100ヵ国をあと少しで廻るという若い女性など、驚異的な経験や風変わりな経緯を持つような人がとても多いようである。
 
 そのような旅の猛者達は一体どんなことを仕事にして旅の資金を調達しているのであろうか?またどんな感情移入を基に旅をしているのか?などと気にはなるが、どうもそこについては会話中触れにくい感があって聞くに聞けないものである。あと、ふとした弾みで自己紹介もなく会話が始まっているので、船内の3日間、話はするものの名前も知らず、それを聞かずにいることも多かった。
 薄っぺらな関係なのに、なぜか妙な仲間意識をみんなが持っているのである。それは、お互い貧乏旅行であったり、お互い海外旅行が好きという共通感覚なのであろうが、どうもこの仲間には入りづらいものが私にはあった。私が海外旅行好きではなく話が合わないことや、なかなか心を打ち解けない人見知りなこと、やすやすと短期間で友達を作れるほど心に瞬発力がないことなど理由は多い。(“誰とでもすぐ友達になっちゃうぞ!”っていう輝くオーラを出している人達に合わせられなかったのもある。)
 
〔まぁ、俺は俺。旅行が好きじゃなくても、友達いなくてもいいや…。〕
船内で「旅」について語り合う他の旅行者達を見ながら私は一人思うのであった。
船内  
 一人ぼっちで暮らす船内の三日間は少々退屈だ。初日は、船内を探険したり、移り変わる瀬戸内の景色(瀬戸大橋などの下を通過する。)を眺めたりで飽きることはない。また3日目の最終日も、中国に上陸する準備と高まる気持ちで退屈は忘れてしまうのだが、問題は中の2日目だ。まるっと一日中何もすることがない。私はあまり知らない他人と会話を楽しんで、時間を過ごせる人間ではないし、話ができる友達も今ここにはいない。
 ゴロゴロと寝てみたり、持参してきたけん玉の練習をしてみたり、島影一つ見当らない海を見てすぐに飽きてみたり…。それでも時間は余る。そんなとき同じように部屋でゴロつく少年とふと目があった。それとなく挨拶をする。
 
「ぁ…こんにちは。中国はどちらへ行かれるんですか?」
 
 それを機にポツリポツリと会話が始まった。彼は現在奈良県で日本の高校に通う16歳の在日中国人だ。今回は中国の親類の家を訪れるために天津行きの船に乗ったそうだ。リュウくんという彼も人見知りがあるようで、なんとなく私には気の合う感じがする。大して話はしていないが、自己紹介程度はできた。「一人でもいいや。」と思ったものの、やっぱり少しでも心を許せる仲間がいるとうれしいものだ。
 
やがて船上の3日目。燕京号は天津の港へ到着した。
荷物を整えながらリュウくんと話していると、彼は私に打ち明けるのであった…
 
「中国は危ないから気をつけた方がいい。僕も中国に着いたら不安だ。」
〔そ、そんな…、中国人の君が不安だなんて…。〕
 
その言葉に動揺する私を無視して船が港内に止まった。…いざ、中国である。
 

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