X−2 《おわりに》
 
 はちすかのモンゴル旅行記はどうでしたか?最後まで楽しく読んでもらえたのか、大いに気になるところです。結局のところモンゴルに約21日間、中国に約19日間、トータルで45日間という旅行でした。(5日間は日中海上移動)こんな一人の長旅も、ちょっと大それた計画の旅も私にとっては初めてのものだったので、
 
「この体験をみんなに伝えられたら、みんな楽しんでくれるだろうか?」
 
 という気持ちのもとに帰国後から間もなく書き始めて、完成した旅行記を年賀の挨拶に友達に配ったのが第一稿です。今回のものは旅人彩図の掲載用にイラストを添えた第二稿です(長期に渡って気まぐれに掲載したのでイラストの感じが随分変化してしまいました…。第二稿掲載にあたり文章内容の変更・推敲は若干にとどめました。)
 旅行記は行程順に沿って書きまとめたけど、テーマをある程度絞ったので省いた内容も数知れず…。それでも、とにかく楽しく読めるようにしたつもりなんだけど、やっぱり楽しくなかったらどうしよう?と不安もたくさん…。あとは読んでくれたみんなからの御講評を待つとして今はただただこのモンゴル旅行記を送り出すのみです。
 
 さて話は変わって、この『モンゴル旅行記』という題名だけど、本来なら中国旅行も含んでいるので「モンゴル・中国旅行記」とか「モン・中旅行記」または「モンチュウ・ウッキッキー」とかを採用するのが筋なんだけど、今回の旅の始まりは全て“モンゴルに暮らす友人を訪ねること”にあったので『モンゴル旅行記』にしました。
 このモンゴル旅行記の全体を通して見た場合、中国編が最も総ページ数も多いし事件などのボリュームもある。特に大連と大同編は何かと思い出深い内容だ。
 
 この旅行記(第一稿)を書いている期間中に、私がずっと愛用してきたリュックサックを盗まれるという事件が起きた。11月初旬のある日に、私は自転車につけておいたリュックを少し(ほんの5分くらい)目を放している隙に盗まれてしまったのだ。(自己管理欠如、日本と思って油断していました。反省です。)盗まれたリュックサックの中には封筒入の現金2万円程と、モンゴル・中国旅行中の日記や様々なアイデアなどを書き綴ったスケッチブック、自転車のパンク等を修理するための工具、それから印鑑が入っていた。
 すぐに盗られた自分を呪い、もう戻ることは無いと諦めをつけたのだが、しばらくして警察署から「リュックの中身が届けられました。」と連絡が入った。警察署へ赴くと、残念ながら印鑑・工具・リュックサック本体は無かったが、スケッチブックとなんと現金の2万円は私の手に戻ってきたのだ。(封筒入りだったことがさいわいした。)拾って届けてくれた人からは「お礼は要らない。」と申し出されていたが、大変な手間をかけてもらったし大事なスケッチブックが戻ったので、報告と感謝を述べに届けてくれた人の家を訪ねれば、盗まれた場所からすぐ近い家の御婦人が届け主であった。感じが良く優しげなその婦人の面影は、中国の大同で出来た“友達”の診療所の女医と私にはだぶって見えるのであった。
 リュックを盗まれたこの事件と、250元を騙し盗られた大連のリーリュウの事件、そして大同にできた女医の友達。共通点はそれぞれに多くないが、ヒトというものを考えたとき、私にとって3つの事件(リュックの盗難・大連・大同)があたかも用意されたシナリオの如く一連に惹き起こったように感じてしまうのだ。
 
 モンゴルについて振り返れば、事件は確かに中国と比べれば少ないものの、自然体験の感動や心に焼き付く風景の数は圧倒的にモンゴルの方が多い。
 今回、モンゴルでは青年海外協力隊員の友人のもとを訪ねたこともあり、様々な体験や話を聞くことができた。莫大な援助金が日本からモンゴルに支払われていることや、それらがどのように使われているとか…。モンゴルでは日本ブームが起こっていたことも聞いた。日本のテレビドラマの「おしん」がモンゴル語で放映されて話題を呼び、日本語を学ぶ人口も日本語を教える教育機関も増加しているということだった。
 モンゴルは本当に草原の国で、どこもかしこもあの大草原のイメージそのまま。旧跡や名所は少なくとも、毎年多くの旅行者が訪れるのもうなずける自然の宝を持っている国といえる。そんなモンゴルの素晴らしさに触れたとき、日本は一体なにを誇ることができるのか?日本の誇れる遺跡や自然にはどんなものがあるんだろう?日本人として誇れる文化や精神は一体何だろう?と思い考えてしまうのでした。
 
 日本に帰る船の上でフランス人の二人の旅行者と(英語で)話す機会があり、お互いの旅行のことなど色々話すなかで彼らが言った「中国人と日本人は同じじゃないのか?」という言葉と、日本の名所や見所を聞かれて私は「富士山」としかそのときに即答できなかったのをよく憶えている。(実は私はまだ富士山に行ったことがないが…。)
 また、旅の道中で知り合った旅行者達の中には「日本はつまらない。」とか「日本は嫌いだ。」というような意見を持つ人としばしば出会うことがあった。彼らの意見は理論としては充分に納得できるものであったが、彼らに話を合わせることはできても、私には諸手を挙げてその意見に賛同できなかった。(やっぱり反論もできなかったが…。)
 日本という国を改めて考えたり評価したりするとき、観光という面では昔ながらの家屋を破壊し近代的なビルが乱立する日本の街並みは、味気なくてつまらないという声をよく聞くが、はたしてそうだろうか?いやいや、よく見ればビルの立ち並ぶこの日本の街並みはかなり日本独特の匂いがして、味わい深いものがそこかしこに溢れていることに気付くことができるのではないだろうか?当たり前でつまらなく見える景色でも、すこぶる日本らしさに溢れていると私は思うのだ。また、ダメと言われる日本的な物の考え方にもたくさんの良さと日本らしさが見いだせるはず(もちろん悪意に満ちた改善すべき点は多くある。)…、少しだけ新鮮な気持ちと、角度を変えた物の見方でもっと日本に気付いて、もう少し日本を好きになることができるはず、世界に誇れるものを見つけられるはず…と私は思う。
 
「世界を知れば、日本もわかる。」
 
 よくある言葉だけど、本当にそうかもしれない。なんせ現に私がこれだけ日本について理解を深めたのだ。モンゴルへ行って即刻旅行好きになったわけじゃないけど、もうすこし他の国も日本も見てみるのも悪くないな…と思い始めるのでした。
 でもね、只行って名所旧跡を巡るだけじゃなんか気力不足で物足りない。スリリングで壮大でちょっとおバカな目的があるといいね。次回の旅はいつになるのか予測がつかないけど、また今度おもしろい旅に出たら一筆報告します。
 
とにかくこれにて『はちすかのモンゴル旅行記』はおしまい。
 
最後の最後まで付き合って読んでくれてありがとう!
それではまた…
バイルタェ、再見、さようなら!
おしまい
 
 
 本文中の英・中・モンゴル文は文法上の間違いが大いに含まれています。できるだけ実際に喋った内容を思い出して記述しました。私のような程度の低い語学力でも、一応言いたいことは通じたようですが、あくまでも現実会話上の身振り手振り表情を含んだことですので、参考などにしないよう御了承ください。また登場する人名・住所などは全て仮称です。本文章・イラストの使用・転載の際は作者に許可をとってからにしてください。
 
2000年 1月 8日 第一稿完
2004年10月22日 第二稿完
© 2000~2004 Hachisuka Yasuyuki  

旅人彩図 『モンゴル旅行記』 X-2 前へ 目次 次へ