W−6 《大連のリーリュウ》
 
 私の大学の恩師である永倉先生。永倉先生が大連でも仕事をしていることを知ったのは今年の4月であった。先生は月に1・2回、仕事の関係という奴で中国の大連と日本を往き来しており、私がモンゴル・中国行きを決めたとき「中国へ行ったついでに大連まで来ることがあったら、一緒にメシでも食おう。」という曖昧な約束を永倉先生と日本で交わしていたのだった。それから私は日本からモンゴルへ旅立ち、再び中国の土地へ足を踏み入れた。
 そのような理由で中国での行程は、万里の長城でけん玉「世界一周」を達成したのちは、おおよそ大連で永倉先生に会うことを目標にして旅してきた。しかし旅の道中において、大連ではもう一つ目標が新たに追加されていた。
 
リーリュウの一件である。(W−3 参照)
 
これまでの思考のプロセスを分かりやすく表記してみると、
 
まみぃを訪ねてモンゴルまで陸路で行こう。

どうせモンゴルまで陸路で来たから、中国を寄り道して帰ろう。

中国を寄り道するなら、大連で永倉先生に会おう。

大連へ行くのなら、リーリュウにも会いに行こう。
 
よって、大同から北京へ戻ってきた私の次の目標地点は大連にあるのであった。
 
 北京発の寝台列車に揺られ、私が大連に到着したのは朝8時頃。駅の出口を抜けると、待っていたタクシーやホテルの客引き達が私に近付いてきた。例のごとく「不要。=ブーヤオ(要りません。)」の一点張りでその客引き達を遠ざけると、大連のにぎやかな街並が私の視界に入り込んできた。
 近代的なビルや建物に混ざって、古い様式の民家やヨーロッパ風建築物が同居する中国の北方最大の港湾都市大連。海に囲まれているので海産物は豊富、中国海上交通の拠点の一つで、夏は涼しく冬は同緯度の北京ほど冷え込まない気候ということもあって、大連の街は多くの人が暮らし活気にも溢れている。
 
大連の街  そんな大連の街並みを人力タクシーの上から眺めてみる。(「不要」と言いつつも結局私は乗ってしまった…。)二階建バスや路面電車がビルの間を行き交い、所々に花壇や植え込みがあるきれいな街である。街にはゴミが散らかっておらず、私が見た中国の他の都市とは少々雰囲気が異なっているようだ。どことなく、西欧的な感じもするし、アメリカのサンフランシスコのような(勝手な予想)感じも漂う不思議な趣のある街である。
 
 人力タクシーのおじさんに連れられて船の切符売場まで行くと、明日出発の上海行きの切符を買った。明日、大連から上海へ向かい、上海に到着したその日に別の船に乗り換え日本に帰国する為の切符だ。
 
私の今回の旅も終わりが近い。
 
 ここ大連に来たとき、この旅の終わりまでの行程が私には見えていた。私の日本への帰国予定日は8月30日。その間のチケットはこれで全て手配済みである。もっと中国を見て回りたい気持ちもあったが、日本に帰りたい理由があって30日に帰国を予定した。
 どうしても自分の作った椅子を出品した展覧会を見たくなったのだ(T−2T−3 参照)。この旅の出発当日7月16日早朝に、私が手伝ってもらいながらなんとか完成させたあの椅子である。出品を託していたその椅子の展覧会がたしか8月30日位まで神戸で開催されていることを思い出し、それを見るために30日に大阪到着の船の切符を手に入れた。
 26日大連発→(船上2泊)→28日上海着。そして28日上海発→(船上2泊)→30日大阪着。大阪到着ついでに神戸で開催されている椅子の展覧会を見に行く。尚本日は25日、明日は既に帰路に入るのだ…。これが私の帰国までの予定である。
 
そして、本日の目標「永倉先生と、リーリュウに会う。」
 
 まずこれから永倉先生の仕事のパートナーの「曲さん」に会う。今日の夕方に永倉先生が大連に到着するまで荷物を預かってもらい、今晩は曲さんの会社に泊めてもらうためである。その後、リーリュウに会いに行く。(チャンスは今日の一日限り。)
 地図を頼りに住所からおおよその場所を確認し、私はバスに乗って曲さんの会社近くまでやって来た。
 〔途中迷ったが、なんとかここまで来れた。この住所と地図ではこれ以上追求するのは不可能だ。やっぱ、あとは人に聞いて回るしかないか…。〕
 そういうことで聞き込み開始。辺りを見回して、通りすがりでない住人を探す。…近くに小さな売店があるのでそこの人に尋ねることにした。売店に入ると、ちょっと顔が恐そうなお姉さんがいる。(…と、失礼な私。)
 
〔マズイかな…で、でもあんまり人もいないし…。とにかく聞いてみよう。〕
 
 「ヂェーガ、ザイナーリー?(これ、どこにありますか?)」と言って曲さんの会社の住所を見せるとお姉さんは怪訝な顔をして住所を覗き込んだ。顔を上げるとベラベラと早口でしかも怒ったような口調でお姉さんは喋りだした。見た目の怒り調子に圧倒されそうになるが、親切にいろいろ言ってくれているようで「私にはこの住所は分からん、とにかく電話しろ!」と要約できる。
 
〔まぁしょうがない。本来なら自力で曲さんの会社まで行きたかったが、ちと限界か…。〕
 
叱られて
 
 電話をすると曲さんがでた。「なぜすぐに電話しないの?!」と日本語の達者な曲さんからまたも怒りの叱咤だ。少しすると曲さんが車で迎えに来てくれた。車に乗って曲さんの会社に着くと既に昼過ぎ。荷物を置き、曲さんと夕方6時頃永倉先生を出迎えるため空港で待ち合わせる約束をつけると、曲さんの会社の若い社員の人と私とで大連の街へ観光へ行くことになった。
 
リーリュウの家を訪ねるチャンスがやってきた。
はじめにリーリュウから聞いていた電話番号に、曲さんにお願いして電話をかけてもらう。
 
「0411-2728114…、…。」
「なにこれ!? えー、これ公衆電話だって、おかしいよ!」
 
 曲さんの口から辛い現実の言葉が発っせられる。少しは予想していたものの嫌なイメージが私の心に広がり、辛いと感じる心がそれまで期待を抱いていた自分をあらわにした。
 
〔やっぱり、嘘だったのか…。騙された。〕
 
 「もう一回してみるよ。…、…、…。やっぱり駄目だよ。」曲さんがもう一度電話をかけてくれるが、公衆電話にかかるようなのである。
 〔…しかし、リーリュウの家の住所はデタラメではなく地図には記載されている。俺が騙されている事はかなり濃厚だが、やはり釈然としない。騙されたのなら、はっきりと騙されたという実感が欲しい。俺は騙されたんだ!ということを確認したい。…とにかくリーリュウの家へ直接出向こう。騙されたと納得するのはそれからでも遅くない。〕
 私は曲さんの会社の龍さんを案内役につけてもらい大連の中心街へ出た。
 
 「大連市中山区七星街125号」リーリュウの家の住所を地図で確認し、路面電車に乗り込んだ。路面電車の車内は木製で味わい深いものの、今ははしゃぐ気になれない。
 電車を降り徒歩で目的地の七星街まで向かう。どうやら目的の建物はマンションのようだ。数字の書かれた同じような色・形のマンションが順番に並んでいる。
 
「115、117…、121、123…、あった125号マンション。」
 
 少しのワクワクするような気持ちが大方の悲観的な予想に飲み込まれながらも、私はマンションの入り口までやってきた。リーリュウの部屋番号は分からないので、龍さんに頼んでマンションの管理人さんに尋ねてもらうと「そういう名前の女性は知らない。」と言う。そして「その人の部屋番号は知らないのか?」と管理人さんから問われるのだった。
 〔リーリュウから訪ねて来てほしいと言われて、部屋番号は伝えられていない。電話番号は公衆電話にかかる。…これで俺が騙されたということがハッキリしたわけだ。〕
 部屋の住人帳をしらみつぶしにリーリュウの名前を検索するが、その名前は無い。管理人さんも親切に住人帳を調べ直したり、住人に聞いたりしてくれるが、リーリュウという名前は登場することがなかった。ここまできてようやく納得できた。
 
バカな私は騙されたのだ。
 
 
 永倉先生を迎えに行く時間が迫り、龍さんと二人で空港へと向かう。バスに乗り流れ行き過ぎる大連の景色を見ながら私は色々なことを思い出していた。
 北京で会ったとき、リーリュウもその兄も姉も私を騙すことに一所懸命だったことが悔しかった。人の何を信じて何を疑えばいいのか見抜けなかった自分が悔しかった。お金の中に人間関係を見いだそうと期待していた私が悔しかった。大連まで訪ねてきて結局馬鹿を見た自分が悔しかった。だから、返らなかった250元が悔しかった…。
 
 こうして、私が北京の街角で出会った大連のリーリュウとその兄姉の話は、予想のできたあっけない結末を迎えることとなった。
…
 
しかし、こんな目に遇ってもその後になって、
〔でも、もしかしたらいつかひょっこりお礼の手紙が届くかもしれない。〕
とか思うあたり、私は相当なバカかかもしれない。
   

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