W−2 《路地裏の日本人》
 
 中華人民共和国の首都、北京。人口は1100万人を超え、高層ビルが立ち並び、名所旧跡も数多く現存する巨大な都市だ。「中華人民共和国」としての歴史は浅く、1999年で建国50周年を迎える。(建国は1949年10月1日)しかし、みんなも知っての通り中国の国がもつ歴史は実に深い。北京に関して言えば、北京原人を含めれば、実に69万年前にその地でヒトの生活が始まっていたと考えられ、紀元前3000年頃には城が築かれて、北京に国としてのかたちが出来上がっていたというのだからその歴史の深さは測り知れない。
 その北京にある名所旧跡を目当てに、今も世界中からの旅行者が多く訪れる。その中でも日本人は結構多いように思う。日本円と中国元の為替レートを考えれば、円は遥かに強く、地理的な近さや文化的な共通点が多いことも中国を訪れやすい主な理由であろう。そしてこの私もその日本人観光客の一人だ。
バス内で  日本人と中国人は顔のつくりがよく似ている。私の場合、酷似していると言ってもいいので、中国人に見間違えられることがたびたびあった。(同じ宿の日本人バックパッカーに聞いたところ、私と同じように間違えられたことがある人が何人もいた。)
 私が人の良さそうな中国人に見えるのであろうか、中国人が人なつっこいというのか…歩いていて突然道を尋ねられたり、名所などで写真を撮ってくれと頼まれたり、バスの中でなにか話し掛けられたり…と色々である。それも当然中国人から中国語で話し掛けられるものだからよく解らない。カメラを差し出されたら「写真を撮ってほしい」と言っているのだろうと察しはつく。だが何もないのにベラベラ…というの困る、というか訳分からん。だからすぐに覚えた中国語の一つが「不明白=ブー・ミン・パイ(わかりません)」である。解らぬことをベラベラ言われてそう答えれば、大体あきらめる人も多い。
 ちなみにモンゴルでもやはり「メドゥホグイ(わかりません)」は初期に覚えて多用した言葉の一つだ。(ここで「もう一度言ってください。」というフレーズも覚えないところが私の消極的性格を表している。)
 
 北京では一人ながらも、沢山の名所に足を運んだ。ツアーで市内を回ったわけではないので路線バスや地下鉄などの公共交通機関と自分の足による歩きが移動の基本だ。辺りはみんな中国人の中、北京動物園・天安門広場・天安門・故宮・景山公園・万里の長城・天壇・鐘楼・鼓楼…といった場所へ一日あたり2箇所ぐらいのペースで訪れた。
 日本と比べたらタクシーの値段はかなり安いのだが、地元のバスなんかに比べれば高いし、中国的な雰囲気を味わえないので私はほとんどタクシーを使うことはなかった。しかし慣れない土地でしかも言葉のおぼつかない外国なので、バスの路線はやはりよく間違える。しかも〔やっぱりその土地の雰囲気を味わうには徒歩による移動が最適。〕と私は思っているので、バスでよく分からない所へ来て街が見たくて歩き回れば…当然迷う。迷ってもタクシーは使わず、地図を開いてバス・地下鉄・徒歩による自己解決を図るので、毎日ヘトヘトに疲れて宿に帰り着くのである。
 おかげで街並みやその土地の雰囲気は多いに味わうことができた。(それらを味わうことは私にとっては重要なポイント。)
 
街並や雰囲気を味わうには、やはり路地裏だ。
 
 私は市内の路地裏が好きで、街を散策するとすぐに大通りを外れて裏通りを歩き、そして迷ってしまうのであった。〔路地裏はいい。〕これは日本でも他国でも私の好きな場所の一つだ。北京の路地裏の通りも素晴らしい。古い民家が並び、人々が軒先で長椅子に座りながら話し合っていたり、突然屋台や市場が開かれてあったりと、路地裏ではその土地で暮らす人々のリアルな生活や雰囲気を目のあたりにできておもしろい。
 
 旧跡・名所より、私はそういった路地裏の光景が好きなので写真も撮りたいのだが…、なかなか、そう簡単に撮れるものではない。なぜか?…それは、路地裏は観光地ではないからだ。普通の人が暮らす住宅街に、カメラを向ける一人の外国人が居たらどう思うだろうか?…怪しい。はっきり言って、怪しい人なのである。カメラを取り出して、狙いを定めようとファインダーを覗き込む…そのときに人々から注がれる視線、視線、視線…。その視線たるやすごいものがある。「なんだ、なんだ!?」と言わんばかりに警戒的に凝視されてしまっては、どうもカメラをバッグから取り出しにくい。
 黙っていれば中国人にしか見えない私なのだが、観光地でもない場所でカメラを取り出した瞬間に外国人とバレてしまうのだ。「たぶん日本人だろう。」という具合で…。「日本人」とバレると色々面倒なので、私はバレないようにいつも心がけていた。ここは近いといえど、外国なのである。日本円の強さを考えたとき日本人旅行者が強盗を受ける確率は高い。だからバレないように気をつけ、つまらなそうな顔で街を散策した。(「楽しい顔をしていると狙われ易い。」という自論から…)そして写真撮影時には、周りの人の多さ・環境・雰囲気を確認してから、素早く狙いを定めて迅速に事を終えるのだ。なんとなく撮りにくい雰囲気のときには写真を諦めることしばしばである。周囲の雰囲気を読み取りながら、カメラを取り出す瞬間 を常に伺いながら歩くのである。
路地で
 
 さいわい、旅行中にはナイフや拳銃を突き付けられたとか後を付け回されたとかはなかったが、路地裏で一般民家を撮影すればそこの住民の機嫌をそこねることに他ならない。何事もなく無事だった私はラッキーであったとも言えるのだ。
 そんな気持ちがあってか、旅行中は常に気を張っている状態にあったといえる。一旦、何かの事件が私の身に起きれば何時でも闘争心を剥出しにして相手に飛び掛かり、肉を食いちぎる程の攻撃ができる状態へ自分を持っていける…という戦闘体勢が心の中で整っているつもりでいたのだ。
 加えて疑い深くもなっていた。たとえ日本人旅行者の言ったことでもまず鵜呑みに信じ込まず、現地人から言われた内容に必ず疑いをかけた。自分から話し掛けたのではなく相手から話し掛けられたときには〔何か裏があるハズ…〕といつも考えていたのである。
 
心は臨戦体勢、気を張りつめながら過ごす毎日。
それでいながら、危険度の高い路地裏が好きなので私も困った奴だ。
 
「疑い深く、大胆不敵。」
これが私流の旅の進め方なのである。
 

旅人彩図 『モンゴル旅行記』 W-2 前へ 目次 次へ