この日の出来事、心にわき上がる感情を
どのように伝えればよいのか‥。
承啓楼内部
 
承啓楼内部
  
  
 そびえたつ巨大な土壁に圧倒されながら承啓楼内に入ると、そこには土楼に暮らす人々の息遣いに満ちていた。ゆっくりとくつろぐ老人、食事の支度をする女、はしゃいで遊ぶ子ども、麻雀に興じる男たち‥それら日常の家庭の営みがすぐそばで、どの家々も何の隔ても無く行われていて、まるでこの土楼全体が一つの家族のような雰囲気を持っていた。
 足元では鶏やアヒルが放し飼いになっていて、土楼内には豚の小屋もある。石の敷き詰められた内部通路、古くなり赤茶けた木の柱、焼目の跡が残る素朴なレンガと瓦、練炭を燃やす匂いと煙、井戸、木桶、大きな甕(かめ)‥、まるで時間を留めたようなその空間に包まれ、言いようのない胸の高鳴りをおぼえるのだった。
 
 土楼を一言で説明すれば「土壁で覆われた木造の集合住宅」ということになるだろう。周辺の土地には円形のものと四方形のものがあり、その大きさは様々。高い土の外壁の内側に3〜4階建ての住居部分が回廊を伴って整然と並んでいる。
 今回訪れ宿泊した承啓楼は最大級の土楼で、円形の外壁部と中央部に合わせて部屋数は402間。(2002年3月)現在で54家族・約370人が暮らしている。最盛期の10年以上前には90家族800人以上が暮らしていたとか‥。そして築後約380年が経つとのこと。
 さすがに規模の大きな承啓楼は 観光客も多く訪れるが、土楼そのものは観光目的の古い遺跡という建造物ではなく、現在普通に暮らす人々の集合住宅だ。現に36年前に建造された土楼なんかも周辺の土地にあったりして、それを教えてくれた人は「自分が10歳あたりの頃に親父たちが土を固めて壁を作ってるのを見てたんだ。」と教えてくれました(漢字文章で)。
 
 承啓楼の管理人さんに宿泊したいとの旨を申し出ると、旅人の部屋のある土楼の3階まで連れて行ってくれた。着いた部屋は‥、お世辞にも「案外きれい」とか「さっぱりとした」という形容ができない小さな6畳ほどの埃っぽく薄暗い部屋であった。
  裸電球が一つ。腰掛けるだけでギシギシと音を立てるベッドが二つ。小さなテーブルが一つ。あとは小さな蓋のついたバケツがなぜか一つ。他は何もない。水道もシャワーもトイレもない。もちろんテレビ・エアコンなどかけらもない。
 〔ちゃんと電気来てるだけマシか‥。〕そう思いながら、とりあえず「トイレはどこか?」と聞くと管理人さんはバケツを指差した。公衆用のトイレは土楼を出た外にあるのだが、3階のここからは少し距離があるので我慢できない小便などはこのバケツにどうぞ、と言うらしいのだ。
 
 〔なかなか面白い場所に来てしまったなぁ。どうしようか、いつまで滞在しよう。うーん‥、まずは腹ごしらえかな。〕荷を降ろして少し買い込んでおいた食糧で遅い昼食にしようかと考えていると、管理人さんが「ご飯は食べたのか?」とたずねてきた。「食べていない」と私が答えると、ついて来なさいと手招きをする。ついて行くと土楼を出てすぐのところにある建物まで来た。どうやら管理人さんと家族の暮らす家のようである。しばらく中のテーブルについて待っていると食事が出てきた。
 手をつける前にどういうことなのか聞くと、宿泊代には食事代が含まれるとのこと(もちろん食事を抜けばその分割引がある)。ともかく、今の昼食はここで食べることにして、他にも色々聞かねばならぬことがあるので、食後は管理人さんと筆談である。漢字という共通の意味を持つ言語で意思疎通が容易であることは、なんとも心強い。
 まずは懸案であった水道やシャワーだが、水道はこの管理人さんのところにあるものを使えとのことだ。水浴びもできる部屋があるので、シャワーはないが体はここで洗える。ついでに洗濯もそこでできる(洗濯機はないので手洗い)。すぐ裏に小川があるので洗濯はそこでしてもよいということだった。それから食事は毎朝昼晩の3食を管理人さん夫婦と共に、ここで食べるとのことであった。すぐ近くには食堂らしい建物がない感じで、まぁ私も一人なので毎日ここでご飯をいただくことに決めた。
 
 〔なんだかホームステイのような、ウルルン滞在記というか‥。あ、そうそう重要なことをまだ聞いていなかった。〕「ビールはありますか?」そう聞くと冷えてないビールが出され、一本2元とのこと。〔冷蔵庫ないのね‥。〕
 
 その日の夜、土楼の人が土楼前の広場に集まり8ミリの映写機で夜空の下に映画鑑賞を行っていた。中国語のミュージカル映画で、嫁と姑のいざこざを題材にしたコミカルなドラマ。機材は旧式らしく時々調子を悪くしながら、古臭くとも味わいのある色と音を白布のスクリーンに映し出していた。
 穏やかで味わいのある村の景色・物・人‥。土楼の人々は活き活きとして、包容力がある。今日一日で何人もの人から話しかけられては家に招かれ、お茶とお菓子をご馳走になり、筆談や互いの紹介話に花を咲かせた。
 
 朝に列車を降りてからの道のりと土楼での感動‥、星空を仰ぎながら長かった一日を振り返るとスーッと肩の力が抜けて急に疲れと眠気を覚えるのだった。
 

旅人彩図 『土楼へのいざない』 P 4/5 前へ 旅ノ随筆 次へ